2023年(令和5年)☟

④県内研修小笠原氏

史跡・飯田の旅

8月17日(木)大手公民館にて小笠原氏史跡・飯田の旅
の事前学習会を開催しました。
9月13日(水)小笠原氏史跡・飯田の旅研修を行いました。

小笠原氏の史跡・飯田の旅

予習と研修(第13・14回)

源頼朝の平家打倒の呼び掛けで、甲斐源氏の加賀美遠光

(かがみとうみつ)は、それに応じその結果信濃守、国司となりました。

遠光の 息子長清が「小笠原」を名乗り、信濃支配を固めて行きました。
子孫たちは内紛で、府中・松尾・鈴岡と各小笠原氏に分裂しました。
飯田地域には、整備された松尾城址と鈴岡城址があります。
戦国期「府中小笠原氏」の長時は、武田信玄に府中を追い出されました。
その後武田家は信長に滅ぼされ、その信長が本能寺で暗殺されると、
長時の子貞慶は、家康を頼り、嫡子の秀政を人質に差出し、
故郷の松本への入郷を試みました。
しかし人質受取者の石川数正が家康を裏切り、秀吉に秀政を連れて
寝返ったため計画は頓挫しました。
時は、豊臣体制から徳川体制へと移り、幕府が松本城主の石川康長を
改易すると、このころには家康の孫娘を娶り、
徳川家親藩になっていた小笠原秀政が、
「飯田城」から父祖の地の「松本城」へ移封されてきました。
:知っ徳:信玄・長時時代は深志城と言い、貞慶が松本城と命名。

今回は、初めてのバス研修で
小笠原氏のルーツの一端を見てきました。

8月17日(木)学習会 9:30~11:30 大手公民館集合
9月13日(水)研修会 8:10~17:00 市役所東庁舎前集合


小笠原書院



崖上書院張り出し部分の床組みを、支えるための京都清水寺でも見られる「懸(かけ)造り」です。

旧小笠原書院の案内人に内部構造の説明を受ける会員。


知ろう会として、バス研修を手造りで完遂することが出来ました。
協力していただいた関係者の皆様、
大変有難うございました。お礼申し上げます。・・知ろう会世話人会・

昼食は飯田シティホテルにてバイキング

東町まち歩き・安原町方面(第15回)

知ろう会第3回「松本城下町の変遷学習」を開催し
松本城下には、親町三町・枝町十町があることを知り
実践してみようと街歩きシリーズが始まりました。
第5回「親町まち歩き本町編」
第9回「蔵の街中町」
を、まち歩きをしました。
今回の第三弾目は、東町で「旅籠の街東町」
の安原方面を研修しました。
案内人は、安原地区の郷土史家「金岩博司」(かないわひろし)さん。

11月16日(木)9:30~13:30 安原公民館駐車場集合
・安原公民館にて、豚汁付 お弁当で昼食・


左が金岩さん

中学生の時「郷土クラブ」を指導していた恩師の出会いにより、松本城や平出遺跡の学びから歴史と考古学に興味を持ったとの事です。
右は金岩さんを紹介している世話人代表の久根下さん。

③両下町の旧道

国道から入った路地を右折すると旧両下町通りです。

通りを歩いていると地元の人達が振返っていました。

 歩き終え振返っ た旧両下町通り。

右は両下町の

旧道の案内板

青インクの丸が、両下町旧道です。
現在は下に見える「和泉町」の通りは、明治23年に北へ延伸させ、国道143号になりました。
両下町旧道は、時代から取り残され忘れ去られた存在になりました。

④宝永寺

宝永寺は水野氏と共に三河国から松本へ来ました。
そして後の戸田氏の時代に
「鬼門鎮護」のためこの場所に移転しました。

欅造りの立派な本堂
境内に親鸞聖人の像があります。

木下尚江の墓
尚江は中学校・高校の教科書(倫理)に登場します。
明治2年天伯町生まれ
社会運動家・小説家

⑥紙漉川(かみすきかわ)

国道143号から観音小路の標識を左(東)に入ります。

当時の重要な産業の一つ、和紙生産がこの川沿いにありました。

宝永時の南にあった花見池からの湧水の川で、生活用水でもありました。
現在は湧水も涸れ、雨水の側溝となっています。

⑦袋町の鍵の手

右に曲がる鍵の手・奥が左に曲がる鍵の手。

逆方向から見ています。

⑧近藤先生

誕生の地

新町緑地に近藤先生のブロンズ像と誕生の石柱があります。
慶応元年松本藩士の子で誕生
東大外科教授・日本外科学会長
松本市営病院創設し
運営・診療に貢献

⑩十王堂

石川康長が城下の出入り口
東西南北に人心の安寧のため
十王堂を建立しました。
ここは「北の十王堂」

この十王堂は、ここ安原町の入口に建立しました。
萩町が北に出来ましたが、移動はされませんでした。しかし廃仏毀釈で破却されてしまいました。

⑪天白神社

十王堂の北東にある天白神社。

石川数正が「城の鬼門」とし天白道場を建立。

一次廃墟となりましたが、享保年間下級武士の氏神「天白神社」として、祀られました。

⑫木戸・番所・一里塚

右に見えるのは萩町の信号です。
左の建物と交差点の左隅の
駐車場の間に案内板があります。

『一里塚』盛り土の上に松が植えられていました。旅人の休憩所。
ここから北一里が岡田一里塚。
ここから南一里が出川一里塚。

⑬中ノ丁辻井戸

道路の曲がり角にマンホール発見。

専用工具で蓋をあけ研修。

「辻井戸説明板」
道路面はマンホール型式で保存・深さ5、6m。
春の渇水以外は
水深2~4m。

⑭橋倉家住宅

⑮昼食・午後の学習会