2024年(令和6年)☟
役員会で鑑賞会
令和6年10月1日(火)・14:00~大手公民館
前段で古城会寄贈「松本城古絵図」鑑賞会がありました。
(南山講師45分程度)
二十六夜神例大祭に向けて
各担当者の割振り・責任者を決定をしました。
(写真は松本城古絵図鑑賞中の会員)
龍岡城他
佐久の旅
7月5日(金)龍岡城・旧中込学校研修、ぴんころ地蔵の参拝など
第二回バスツアー・佐久の旅を行いました。
龍岡城他・佐久の旅研修(第18回)
研修時には、外堀の北西のハスが見頃になります。
その水面に睡蓮の花咲くこの頃、皆さま如何過ごしですか?
さて今回知ろう会では、昨年の飯田の旅につづき、
市のバスを利用しての、佐久方面の日帰りの旅を企画しました。
コースタイムにある見学場所と、食事・散策時間をご用意!
(6月7日回覧のお知らせより)
1.信州の五稜郭、龍岡城研修・・函館の五稜郭との違いなど見ましょう
2.文明開化時の旧中込学校研修・・・旧開智学校との違いを見ましょう
3.ピンコロ地蔵の散策・・・商店街が造った、健康長寿佐久のシンボル
4.昼食は佐久ホテルで・・・佐久の名物を味わいましょう
5.道の駅でのお買い物・・・現地の産物を味わいましょう
6.望月歴史民俗資料館・・・中山道69次の内25番目の宿場町
(時間の都合で中止しました)
7.長和町の駒形岩・・・依田川により浸食されて出来た名勝地
7月5日(金)研修会 8:15~17:00 市役所東庁舎前集合
会費5,000円 → 精算の結果、1,000お返し
1・龍岡城
であいの館の案内人に龍岡城の概要を聞く。
龍岡城五稜郭は函館とともに日本で二つしかない星形稜ホの様式城郭。
堀の上の橋を渡り大手門に向かう
橋の上から
切込みハギの石垣に
見入る会員
水面近くの石垣に欠損がいくつか見られた。
横目地が通る布積に、剃刀も入らぬ石垣の隙間である。
美しい亀甲積、上部には武者返しの板石が手前に突出している。
五稜郭を見下ろせる展望台の山稜。
大手門の石垣と柱石が残る。
廃城令で門は取り外された。
大手門に入ってすぐ右の田口招魂社。
取壊しを免れた御殿の一部「お台所」。
内部は見事な小屋組みや、五稜郭ジオラマがある。
2・旧中込学校
旧中込学校と
松本の旧開智学校との違いなんでしょうか?
アメリカで学んだ市川代治棟梁の作品。
東洋風表現が無い。
旧開智学校とは違い、正面から見て縦長の建築となっている。
漆喰壁が落ちた改修前の旧中込学校
第一教場で、文化振興課の担当者から旧中込学校の説明をうける。
当時の椅子に座り、いい子で授業を受ける会員。
2階廊下突き当りの
ステンドガラス
(模造品)
ステンドガラスの
本物は別棟の資料館に
着色ステンドガラスは高価なので透明なものに色付けした。
3・ぴんころ地蔵
高さ約1メートル・直径約60センチ平成15年(2003)9月建立
健康長寿にあやかろうと県内外から「ぴんころ詣」
4・佐久ホテル
1428年室町時代創業の信州一の老舗旅館
【鯉のうま煮・あらい御膳】
5・道の駅・ヘルシーテラス佐久南
龍岡城で撮影しようと・・忘れていた集合写真をここで!
何はなくともお土産・・・必須
7・駒形岩
依田川の浸食をうけて名勝地に
岩の下側に馬の形が見られることから「駒形岩」と
車窓からの研修でした
佐久の旅・おしまい
城下まち歩き
さんぽ・東部
5月22日(水)あがたの森スタートで戸田廟所・十王堂
源池の井戸・深志神社など研修しました。
城下まち歩き・東部(第17・18回)
常念の残雪もなくなり、里山がもえぎ色に染まっている中、
体を少し動かしたくなるこの頃、皆さま如何お過ごしですか?
さて、今回知ろう会では第16回学習会を開催し、第17回研修で
5年前の婦人部が行った「城下町さんぽ・東部」を企画しました。
先月南山講師が行った学習内容を思い出し街歩きしましょう。
(5月吉日回覧のお知らせより)
・・概略タイムスケジュール(研修時間・研修場所パスは当日調整)・・
0.あがたの森スタート・9:30~(徒歩15分)~9:45 戸田廟所着
1.戸田廟所(30分)10:15~10:30槻井泉神社着
(10:00に十王堂鍵開け依頼TEL)
2.槻井泉神社(5分)10:35から10:40 東十王堂着
3.東十王堂(30分)11:10~11:15念来寺着
4.旧念来寺(15分)11:30~11:35伊織霊水着
5.伊織霊水(5分)11:40~11:45北向観音着
6.北向観音(5分)11:50~11:55源智井戸着
7.源智井戸(10分)12:05~12:20深志神社着
8.深志神社(10分)12:30銀座記念碑着
9.銀座記念碑(10分)12:40散策・解散・昼食(ココス当日受付)
5月22日(水)9:20・あがたの森駐車場集合
会費500円(資料代)・昼食代:個人にて
都合で途中で散会される方は、集合時にお申し付けください
注・文中の表記は「知ろう会」松本城下町さんぽ~東部~資料による
1・戸田家廟所
旧前山寺・長屋門
長屋門内部(昔墓守の住まい)
市の担当者により開錠
中は西・東の廟園に分かれています。
看板の史跡の色分け。
建築物は黄色、遺跡はピンク?
西側(外域)の廟園を通り、お塚のある東側(内域)廟園へ向う。
東廟園門こぐる
正面の「お塚」(丹波塚)
を見る
門をこぐり、内域から東廟園門を見る。
正面にある丹波塚、戸田家初代・戸田丹波守康長の墓。
土で盛り上げられた丹波塚の下部は、石垣で囲まれている。
奥にある墓
左は一番北側の光領(みつむね)奥・光(みつ)
の墓。右は後の8代光庸(みつつね)の弟光領の墓。
墓前石灯籠
墓前には2基の石灯籠が奉納されている。
光領墓灯籠
石灯籠の下部に「石灯籠2基を夫光領の墓前に嘉永6年6月24日に奉納する。
蜂須賀家から光領に嫁いだ光」
とあります。
建立墓碑
「故松本城主従四位下行丹波守源公墓碑」
後の戸田家第5代城主光悌(みつよし)建立。
山辺からそりにて延べ455人で引いた。
2・槻井泉神社・湧水と欅
由緒:薄川・湯川の複合扇状地の先端に位置するこの地一帯は、豊富な湧泉がみられる。・・・・
・・・この湧泉もその一つで、古来から人々に親しまれており、「清水」の地名もここに由来する。
老樹はニレ科のケヤキで、目通りで幹囲は4.8メートルである。
ケヤキとして格別巨木ではないが・・・・
・・・季節の折々の美しい装いは、一帯に静寂な佇まいを醸し出している。ウロには、大日如来を抱く。
3・東の十王堂
東十王堂
町内会の責任者様から
説明を聞く会員
十王とは、仏教の十王教に説く、亡者の霊魂が迷い行くと言う暗黒の世界の役所で、亡者を裁くと言う十の王のこと。
ここ東十王堂のように、像は残ってはいないが、西の伊勢町入口に地蔵堂跡、北の安原町と萩町の境、南の博労町にも十王堂跡がある。
4・旧念来寺跡
妙勝寺の敷地内に建っている。光明山念来寺は天台宗の寺で、元和5年(1619)に唱岳長音上人が開いた。数代後の明阿上人が住職の時、寺を新くして鐘楼を造り「時の鐘」をついた。
宝暦4年(1754)の記録に、松本城太鼓門の太鼓楼と念来寺の太鼓楼において、正午に鐘を打つように言いつけられたと、記されている。
鐘楼の屋根の中央部にあった時の鐘は、元禄12年(1699)鋳造され、外径1.2メートルの大きな鐘であった。
しかし、第二次世界大戦中に供出されてしまったが、近年関係者により新たな鐘が設置された。
5・鈴木伊織の墓と霊泉
元禄3年(1690)長尾組与手代御用留日記に、鈴木伊織が亡くなったということについて、あちこちの村里の僧や庄屋、百姓等が、伊織死去のお悔やみのために伊織の息子の家に行ってはいけないと、村々に触れを出した。
松本藩が村人に向けて伊織宅へお悔やみを述べることによる、集団行動になることを危惧したのではないか。こうした動きは、百姓の伊織に対する信頼の深さを表すものであろう。
6・北向観音
北向観音の資料を探すことができず、
今のところその歴史が分からない。
北源地町会の皆さんがお祀りしていると思われる。
7・源智の井戸
げんち表記:一般に「源智」だが過去の文献には「源池」の表記もある。
現在の町内会名は「北源地」・「南源地」である。
また文禄3年(1594)城主の石川康長が、この井戸に制札を出したとされる。
「この井戸で、汚れた手桶などで水を汲んだり、洗濯物や
ゴミくず等を捨ててはいけない。必ず守ること。4月7日・康長朱印」
・・・当時松本城は建設中で、多くの職人が集まり仕事終わりには、
この井戸で不浄なことがされたのでは・・・
金井東大教授談
9・銭座記念碑
江戸幕府
寛永13年(1636)
・江戸と坂本(近江)の銭座で「寛永通宝」の鋳造を開始。
寛永14年(1637)
・仙台、水戸、高田
(越後)、吉田(三河)、岡山、萩(長門)、竹田(豊後)
松本の8か所に増設。
なぜ松本
寛永14年の松本城主は、将軍家光の従兄弟の松平直政だったため鋳造が許可されたと思われる。
鋳造場所
この碑がある深志神社の南ではなく、本町と伊勢町の分岐地点の信毎メディアガーデンの場所と思われる。
建設時の発掘調査で、寛永通宝鋳造関係の遺物が発見されたためである。ちなみに、鋳造場所のあと幕末まで「お使者宿」だった。
10・昼食時間ですよ
ココスさんにお邪魔しました。
城下まち歩き・東部 おわり